お墓の形式から見る歴史

平安時代に、唐から帰国した空海が真言宗を開き、日本仏教を確立した。この時期に供養塔として建てられたのが五輪塔(ごりんとう)である(図5)。五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利(しゃり)(遺骨)を入れる容器として使われていたといわれている。その後、五輪塔の形状を模した木板(卒塔婆(そとうば))(図5)から派生した板碑(いたび)が生まれ、室町時代には、仏の形を模して蓮台などの上に戒名を記した墓石を配置した形状や、仏壇そのものを簡略的にかたどった形状のお墓が生まれた。江戸時代中期には庶民にもお墓が普及し始め、お墓の形状は簡素化され、現在最も普及している和型(わがた)三段(さんだん)墓(ぼ)が一般的な形状となった(図6)。 戦後、お墓の土地不足が大きな課題となり、公園墓地等の普及に比例し、洋型オルガン型(図7)やプレート型(図8)などの洋風の形状が増加した。洋型が増加した背景には、和型のお墓より省スペースで建てられるため、土地不足の解消に有効だったことがひとつの要因として考えられる。また、お墓のコンパクト化はさらに進み、ロッカー式墓地(納骨堂)(図9)などといった立体墓地が誕生した。ロッカー式墓地は都内の寺院等の霊廟にあり、価格的には郊外の墓地より高価だが、購入者のお墓を選ぶポイントは雰囲気のよさ、アクセスのしやすさが上位を占めている(第7回お墓の消費者全国実態調査より)ため、人気が出ている。 平成に入ると、コンパクト化に加え、継承の必要がないなどのメリットがあることから、集合(しゅうごう)墓(ぼ)や共同(きょうどう)墓(ぼ)(図10)など他人と入るお墓の形式がつくられ始めた。集合墓や共同墓は既に都心に多く建てられており、自然と調和を図った新しい発想のお墓として注目されている。


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